家畜と人間
幼い頃の記憶。
父に良い聞かせられた、判断を迫られた質問であり、私を形成してきた問題。
家畜は死んでからが仕事である。
食肉として人や肉食獣が生きるために欠かせないものとして真価を発揮するために、生きている間は無償で食事や空間等の必要なものが提供される。
対して人間は死んだ後は無価値である。
食肉にも、植物の肥やしにもなれず、燃やさなければ腐臭を放ちガスをため腐肉を撒き散らすという有害物質となる。
そんなものに対して誰も無償で衣食住を提供なんてしない。
だから、人間は自分の意志で、力と知識を使い労働をして衣食住を得るのだ。
それをしない奴は家畜にすらなれない、比べることすら失礼に値する存在なのだ、と。
ペットですら餌を得るために飼い主に愛想を振る。
番犬は家を守りもする。
これも立派な労働であり、人間と差はない。
人間になるか、家畜以下の存在になるかは自分で決めろ。
私は年中から幼稚園に通い始めたが、入園祝いにもらった言葉だったのか、もっと前から聞かされていたのかはわからない。
けれど、そこで母親が「言い過ぎだ」と口を挟み、口喧嘩から始まり母親がボコ殴りにされる光景を見ていた事を覚えている。
「人間でありたい」と思った私は自分に何ができるかを考え、お金を稼ぐことが出来ないと知り、相手は今何をして欲しいのかを考え行動することをしていた。
周囲からはよく「子供の癖に子供らしくない」と叱られた。
今年で30を迎えるが、未だにその言葉の意味は理解できていない。
20の時に障害というレッテルを貼られ、それでも人間でありたいと思った。
しかし、障害を隠してアルバイトで様子を見ても薬の副作用や軽い発作等を巧く誤魔化すことが出来なかった。
一般として働きたかった私にとっては遺憾でもあったが、「健常な方には劣ってしまうけれど、一生懸命働きます」という意思表示の枠であると説明を受け障害者雇用にて一般企業でパートとして働くことに。
そこではお互いがお互いを理解しやすいようにと障害を持った方で1つの部署が作られていたので、少し心強さも感じていたのだが、皮は一年後には剥がれていた。
そこで働くのは「人である前に障害者」であり、「障害者である前に人」でありたい私は異端者だったのだ。
父の言葉を借りるなら「家畜以下の存在」
そもそも働く意思は微塵も感じられず、働かなくてもお金を貰えるのが当たり前、逆にどうして働かなくてはいけないの?と感じられるような態度も度々。
私は人でありたい。
障害があっても、一部不具合があるものの根本的には人間であって欲しい。
そんな私も矛盾を感じながらプライベートでは人間で、社内では家畜以下でと区切って働こうとした。つもりだった。
会社に行く事が非常に辛かった。
会社にいる時だけ回りをコバエが飛び回っているような錯覚に陥った。
医師から辞めるよう進められた。
朝起きたら、自分ってなんだっけ。
なにしてたんだっけ?
呆然として分かるけどわからない、動けるけどうごけない、訳のわからない朝を迎えた。
自分の名前は分かる。会社名も分かる。
最寄りの駅はわからない。そもそも玄関の外、扉を開けた光景が思い出せない。
医師からも支援員からも進められて退職した。
徐々に思い出してきている反面、思い出したものが光景として脳裏に焼きつき離れず夜も眠れないことがしばしば。
働くこともできず生活保護に頼っている私は家畜以下の存在に。
人間でありたいのに。
理性も、知性も羞恥心だって失いたくない。
同じになんてなりたくない。
だけどならなきゃ働けないの?
どうせならわたしは社畜の方が断然いい。
いっぱいお仕事した後のごはんは美味しいから!
人間として働けるようになれるかな・・・
障害があっても、根本は人間である人たちと。
そもそも障害すらない人たちと。
働ける、そんな未来は存在するかな・・・。
私なんかが人間でありたいと望むことが、望んでしまったことが間違いなのかな。
間違っていてもいいから頑張りたい、なんて我が儘を応援して欲しいとは思わない。
手足を引っ張って沈めようとしないで欲しい、と願うのは矛盾だろうか。
不干渉を望むのは我儘の上塗りだろうか?
今はただ、戦わないと。
脳裏から剥がれてくれない映像と、音声と、家畜以下にならなくてはいけないという強制的な思考と、嫌悪とそれらに負けてしまう肉体と。
人間になるために、なれるように。
それらに負け続ける事に慣れないように、諦めないように。
いまはただ歯をくいしばって耐えるとき。
動けるようになるために、見えない敵と戦うとき。
病んでんなぁー。。