Re 日溜哀歌

直向きに、気まぐれに。

宿り木

空になんてならなくていいよ

勝手に見つけて飛んでいくから

疲れたって気づかないふりして空元気でも飛び続けるから

疲れていることに気付いてしまえば虚栄も崩れて堕ちていく

翼をなくすその前に

宿り木になってほしい

羽を休めるその場所に

どれだけ遠く離れても

どれだけ高く羽ばたいても

戻れば変わらずそこに居て

「おかえり」なんて微笑んで

ぐだっていても素知らぬ顔で隣に居て

それがどんなに嬉しいか

それだけでまた飛べるから

終わりもない

果もない

限界なく広がる大空に

それでも雲を突っ切って

大気圏超えてやってやったと笑いたい

安全を保証する空になんてならなくていいよ

ふとした時に休める場所であってほしいよ

とんだ我儘なんだけど

私は空より高く飛んでみたい

雲を越え大気を抜けて宇宙の先になにがあるのか知りたいの

一緒に来なくて大丈夫

やりたい事をやっていて

たまに一緒に笑ってほしい

ぐだって喚く私を笑い飛ばして

素知らぬ顔で傍らに居て

会話なんて無くていい

君がそこに居る、そう感じる

邪険な空気は感じない

心地良い場所、安心する場所

無茶で無鉄砲かましたい私の

羽を休める唯一の宿り木

さようなら

貴方の前では自然体で居られた。

でも、社会は自然な私を望まない。

働きたくて、収入がほしくて。

みんなと同じ状況で、肩を並べて歩きたくて。

社会に出るには自然な私を封じる術を、演技で良いから習得したくて。

社会が求める"人材"としてのイメージを掴みたくて、温かい君を遠ざけた。

どうしても甘えてしまうから。

その甘えは社会には必要ないから。

こんがらがって、訳がわからなくなって、謎の言葉の羅列を紡ぎはじめても隣に居てくれた。

'答えがないと駄目なの?'

その問いでどれだけ心が救われたか。

でも、社会は答えがある事が前提だから。

訓練が必要だと思った。

例え障害者雇用だとしても働いて、収入を得る。

そこまでしてやっと隣を歩く資格が生まれるんじゃないか。

隣を歩いても恥ずかしくないと思ってもらえるんじゃないかと思い込んでいた。

就職口が決まって、久しぶりに連絡を取った。

取れなかった。

宛先不明のメールが帰って来た。

LINEもツイッターもだめだった。

自分の事ばかりで遠ざけられる気持ちを考えていなかった。

働き口みつかったからあそぼーなんてなんてワガママダ。

切られて当然と事をしてしまったのに、それでもまだ温かかった君を望む。

ほんとうに勝手だな・・・。

けれど、私からの道を全て塞いだその先で、君が今笑っているなら私はそれがいい。

だから、こんどはさようなら。

何時までも引きずってしまうから、後ろ髪を引かれないよう。

ほんとうに、ほんとうにありがとう。

家畜と人間

幼い頃の記憶。

父に良い聞かせられた、判断を迫られた質問であり、私を形成してきた問題。

家畜は死んでからが仕事である。

食肉として人や肉食獣が生きるために欠かせないものとして真価を発揮するために、生きている間は無償で食事や空間等の必要なものが提供される。

対して人間は死んだ後は無価値である。

食肉にも、植物の肥やしにもなれず、燃やさなければ腐臭を放ちガスをため腐肉を撒き散らすという有害物質となる。

そんなものに対して誰も無償で衣食住を提供なんてしない。

だから、人間は自分の意志で、力と知識を使い労働をして衣食住を得るのだ。

それをしない奴は家畜にすらなれない、比べることすら失礼に値する存在なのだ、と。

ペットですら餌を得るために飼い主に愛想を振る。

番犬は家を守りもする。

これも立派な労働であり、人間と差はない。

人間になるか、家畜以下の存在になるかは自分で決めろ。

私は年中から幼稚園に通い始めたが、入園祝いにもらった言葉だったのか、もっと前から聞かされていたのかはわからない。

けれど、そこで母親が「言い過ぎだ」と口を挟み、口喧嘩から始まり母親がボコ殴りにされる光景を見ていた事を覚えている。

「人間でありたい」と思った私は自分に何ができるかを考え、お金を稼ぐことが出来ないと知り、相手は今何をして欲しいのかを考え行動することをしていた。

周囲からはよく「子供の癖に子供らしくない」と叱られた。

今年で30を迎えるが、未だにその言葉の意味は理解できていない。

20の時に障害というレッテルを貼られ、それでも人間でありたいと思った。

しかし、障害を隠してアルバイトで様子を見ても薬の副作用や軽い発作等を巧く誤魔化すことが出来なかった。

一般として働きたかった私にとっては遺憾でもあったが、「健常な方には劣ってしまうけれど、一生懸命働きます」という意思表示の枠であると説明を受け障害者雇用にて一般企業でパートとして働くことに。

そこではお互いがお互いを理解しやすいようにと障害を持った方で1つの部署が作られていたので、少し心強さも感じていたのだが、皮は一年後には剥がれていた。

そこで働くのは「人である前に障害者」であり、「障害者である前に人」でありたい私は異端者だったのだ。

父の言葉を借りるなら「家畜以下の存在」

そもそも働く意思は微塵も感じられず、働かなくてもお金を貰えるのが当たり前、逆にどうして働かなくてはいけないの?と感じられるような態度も度々。

私は人でありたい。

障害があっても、一部不具合があるものの根本的には人間であって欲しい。

そんな私も矛盾を感じながらプライベートでは人間で、社内では家畜以下でと区切って働こうとした。つもりだった。

会社に行く事が非常に辛かった。

会社にいる時だけ回りをコバエが飛び回っているような錯覚に陥った。

医師から辞めるよう進められた。

朝起きたら、自分ってなんだっけ。

なにしてたんだっけ?

呆然として分かるけどわからない、動けるけどうごけない、訳のわからない朝を迎えた。

自分の名前は分かる。会社名も分かる。

最寄りの駅はわからない。そもそも玄関の外、扉を開けた光景が思い出せない。

医師からも支援員からも進められて退職した。

徐々に思い出してきている反面、思い出したものが光景として脳裏に焼きつき離れず夜も眠れないことがしばしば。

働くこともできず生活保護に頼っている私は家畜以下の存在に。

人間でありたいのに。

理性も、知性も羞恥心だって失いたくない。

同じになんてなりたくない。

だけどならなきゃ働けないの?

きっと社畜は人間で、社内ニートは家畜以下で。

どうせならわたしは社畜の方が断然いい。

いっぱいお仕事した後のごはんは美味しいから!

人間として働けるようになれるかな・・・

障害があっても、根本は人間である人たちと。

そもそも障害すらない人たちと。

働ける、そんな未来は存在するかな・・・。

私なんかが人間でありたいと望むことが、望んでしまったことが間違いなのかな。

間違っていてもいいから頑張りたい、なんて我が儘を応援して欲しいとは思わない。

手足を引っ張って沈めようとしないで欲しい、と願うのは矛盾だろうか。

不干渉を望むのは我儘の上塗りだろうか?

今はただ、戦わないと。

脳裏から剥がれてくれない映像と、音声と、家畜以下にならなくてはいけないという強制的な思考と、嫌悪とそれらに負けてしまう肉体と。

人間になるために、なれるように。

それらに負け続ける事に慣れないように、諦めないように。

いまはただ歯をくいしばって耐えるとき。

動けるようになるために、見えない敵と戦うとき。

病んでんなぁー。。

ほんまつてんとう

最近少しだけ考えられるようになってきた。

入社する直前辺りに会社が統合したためにグループメンバーが緊張していた、とは聞いていたけれど。

二年目、メンバー同士のコミュニケーション程度の会話がはじまった。良いことだと思った。

三年目。コミュニケーションの域を逸脱しただただ騒ぐだけの集団になった。

クチャラーだった女性はぐっちゃにっちょぺっちょと度が増していきまるでプレデターの捕食シーン、げっぷ魔はとうとうハンカチをあてる事もやめ口を開き顎を突き出し「あ"ー」と声をだして一日中。自称良心の塊さんは「心配だから」と目を輝かせながら社内外問わず騒ぎ立てる。ただし、「ただ心配しているだけで何かをしようとは思わない」と"心配"の矛先を向けた相手を煽り卑下し拍車を増していく。

乾燥用のリップを塗った後に思い切り口を開いて"ぱかん!"と音をさせるのも不快だった。

昔、家族といるのがとても辛くて無理なので刑務所でも良いからしばらく独りにさせてくれと頼み込んで夜間の緊急入院となり閉鎖病棟にの隔離室に入ったことがある。

土日で休診日だったため外来医師がおらず、2~3日隔離室ですごした後に大部屋に移動になったのだか、その環境ににてるなーと思った。

自分のなかで職場のイメージが幼稚園→動物園→肥溜めになっていった。

きづいたら呼吸を止める癖がつき、端に席を頂いていたので壁側ではない耳を塞ぎ、食は喉を通らないけど上司命令で食べるよう、休憩はとるよういわれ、ただただ辛かった。

だけど、休職時ハローワークの方から企業へ障害内容等の説明と応募の可否についての確認をして頂いた際に受話器越しに聞こえる相手企業さんからの"うち身体しかやってないから""てんかんで仕事とかなめてんの?"という軽いのからねっとりとした嫌みに対して申し訳なさそうに、"そこをなんとか"と繋げようとしてくださるスタッフさん。

そして繋がらない事を非常に申し訳なさそうに謝罪してくるその姿が脳裏に浮かんで、「そんなことをさせてしまうくらいなら自分が堪えよう!」とおもっていた筈なのに・・・。

そんなことすら見えなくなって。

医師には「しばらく休め」とばかり言われるようになり「とりあえず1ヶ月休もうか」ということを2・3繰り返しても不調は収まらず、むしろ休んでる間に何をいわれているか、どう騒がれているか、復帰したら何をされるか分からなく気がせぐばかりで余計につらいので休まない方向でなんとかしたいとお願いしたら「治療をする意志があるならそこをやめなさい」と言われてしまった。

原因不明の体調不良で検査はオールグリーンでそれでも首から下電源入ってなくて動かれへん・・・な、出勤できない日も増えてきていたので退職。

「こんなひどい環境になってるのも一時的なのもかもしれないからもう少し様子を見る」なんどもそういって支援員さんからの転職のすすめを断ったりするんじゃなかった。

冷静にかんがえれば「一時的」が1年以上続くなんてあり得ないし、上司・上長共に環境も人もかえられない。自分で自分をなんとかしろといっているのに変わるはずは無かったのに、こんな動物的な方たちでは無い筈だなんて自分勝手な理想を押し付けて、叶わなくて、勝手につぶれて、市場価値を下げ使い物にならなくなるまですがり付いて・・・

バカみたい。

医師から「生理的拒絶反応を押さえるなんて治療ではないて医師としてそんな薬は服薬できない」といわれても、支援センターの方に幾度も転職を勧められても、ハローワークさんにあんなに理不尽なことをさせなくてらはらはいくらいならかじりついてでも続ける。

そうおもっていた筈なのに・・・

そんな事もわからなくなるくらいなにかがなんかやってんな・・・

やめてしまったら耐えてたことも無意味だし、支援センターさんにも失礼だし本末転倒だよ!

さいきん少しずつ食べる喜び(美味しいと思える)事が出来るようになってきたから色々思い出したり考えたり出来るようになってきたのかな?

最後の方味なくて、最近違うものも食べたり量を増やしてみたりしてるけど、仕事やめてからしばらく一日のごはんがカロリーメイト(2本)だけーとかだったりしてたからなぁ...

片耳ばかり塞いでいたせいで体もおかしなことなってるっぽいし、しっかり整えて新しいところ探さねばー!

・・・・・ハローワークさんに申し訳ないなぁ。

次はちゃんとしたところ探して同じ事を繰り返さないようにしなければ...つ!!

いまだに脳裏にメンバーのいやーな姿が浮かんで職場でもないのに安定剤が手放せないけど、前ほどではないけれど「おいしい」と感じることもできるようになったみたいだし。

うん。

だいじょうぶ、回復の兆しはある。

それまではちょっと甘えます。

本当にごめんなさい。

甘えられる場所も、探しておかないとなぁ...

免許とれればなぁ...

休みにバイク走らせてカメラをパシャリ、なんて最高やのに..(ドクターストップ免許とり!

サイコロみたい

丸くあれと四角は産み落とされた

角は引っ掛かるが丸く丸みを帯びてなんとか丸く転がれるようになった

そん時には丸は止まりかたを覚えて

助走をつけて走っては転んで丸まって勢いつけて距離を延ばして着地して繰り返して仲間に囲まれていた

角張った体じゃうまく転がれないけどルールに規則に乗っ取って

助走をつけて走って転んで引っ掛かる体を気合いと根性で転がして着地して見回してもかすり傷に囲まれて

これくらい痛くないさって何度も何処でも転がって

同じになりたくて輪に入りたくて

小さな傷は痛くないよ本当さ

これで仲間になれるなら

いつしか丸は小さな角を1つ手に入れ止まって息抜くことを覚えていった

はじめから持っていた角を加速に使っていた僕は止まりかたを忘れていた

転がってついた傷は痛まないよ

血の跡が僕の辿った軌跡を記してくれているからさ

それだけで誇れる傷になっていく

愛しい朱になっていく

けれどいまだに僕は一人だ

初めから形の違う僕は同じ悩みを苦労を困難を

分かち合うことの出来ない僕は蚊帳の外

それがとても寂しくて

「蚊帳の外で平気なんて信じられない」なんて言葉が突き刺さるんだ

入れなくても虫に刺されて死んだりしたいよ

夜風は涼しくて透き通って大好きだ

てれども少し

少しだけ

傍にいて欲しいときもある

丸く望まれ生まれた四角が1つ、細かな傷を刻みながらビー玉の袋に入れずに踏まれて痛いと投げ捨てられるお話さ

心とは

考えることを放棄したくない

そう思ってた僕は社会的敗者になり果てた

 

遠く虚ろな瞳でにちゃっと音がしそうな笑顔の中で、同じ事を繰り返し続ける輪の中で。

 

「出来ない」を「出来る」ようにする方法を探すことを手放して、なんで考えるの?出来る筈ないじゃんって否定される輪の中で。

それでも考える事を手放したくなくて、だけどその輪にはいらなきゃって。

 

自分をゾンビだと思ってた。

ただ腐って、何も出来なくて、人に迷惑ばかりかけて。

映像の中のそれらに自分を重ねてしまうから、辛かった。

 

ゾンビだって、ゾンビになりたくてなったんじゃない。

人のままで在りたかった。

こんな風になってしまった自分が悲しい、もっと一緒に笑っていたい。

けれど、本能のままに相手を襲ってしまう、制御のきかない体が憎い。

そんな思いを重ねながら排除されゆく姿を見ては、「いつかきっと私の事も...」なんて思ってた。

 

そんな私も働いて、仕事も覚えて、もっと沢山頑張りたくて背伸びして。

「1人じゃないんだから」と肩を叩かれ「チームなんだから」と振り返った先には共に頑張る仲間ではなく、「一緒に堕落しよう」と誘う魔の手達だった。

 

抗った。

「仲間なんだから」何度も言われた。

きっと私は間違っていた。

 

「やりたくない」人の輪の中で「やりたい」私はどれ程邪魔者だっただろう。

いかに仕事を減らすかに力を入れている中で、やれる事を増やそうとする私は迷惑以外何者でもなかっただろう。

 

もっと早くに気付くべきだった。

 

心は無くしたと思ってた。

「考える事をやめたくない、例えそれが無意味でも。」その意思だけは変わらなかった。

「意思」には「心」が入ってる。

てんで胸は冷えきっていて、まるで脳だけのカラクリだと思ってた。

だけど心はちゃんと有ったんだ。

 

冷えたグラスにスポンジを突っ込んで、水滴一粒残ることなく吸い取られた器の中に再びワインを注ぐだろう。

 

大事な事に気付けたから。

意味なら自分で見つけるさ、大丈夫。

大丈夫、回復は見込めるだろう。

灯りの消えた灯台に灯をともす。

そのために今、階段を登ろう。

 

灯りが着いたら、何をしよう。

見つけるための明かりを付けに、今からランプを探しにいくよ。

 

後から来る君が迷わぬようにランタンとしてこの詩を注ぐ。

階段の所々にその時々の思いを少し置いていくよ。

 

何処がゴールか分からない。

だからずっと唄いつづける。

辛いことも、悲しいことも。

楽しいことも、嬉しいことも。

今はこんな唄だけど、どうか鼻で笑い飛ばして。

次の一歩を踏み出して。

 

大丈夫、1人じゃないさ。

だって僕が傍にいる。

Dear

誰も理解してくれなくていいんだよ。

イジメられても、ハブられてても、そんな事は関係ないよ。

 

辛いけど、苦しいけれど、耐えてる君は強く優しい人になれる。

 

「将来君はどんな人になりたい?」

その姿は今の自分とは正反対かもしれない。

それでも良い。

周りの誰もが嘲笑し、両親さえも認めてくれない。

そんなのどうでもいいんだよ。

「なりたい自分」になるのは君自身なんだから、周りの雑音から拾うべき声だけ拾うんだ。

無意味な罵声も心にグサッと来るけれど、内心ホームラン打ったつもりで一言返して、表面上は取り繕っておいてさ。

「なりたい自分」になるために、克服するもの、直すべき所、鍛える方法、近づくためのヒントは無差別に無慈悲に雑音に紛れていたりする。

それだけ拾って、参考にして、要らないものは切り捨てて。

 

今は暗い部屋でじっと、膝を抱えて歯をくいしばって扉を睨んでいるかもしれない。

 

それでもいい。

ただ、辛いけど耳を澄まして聞いてほしい。

雑踏の中に流れるヒントを掴んで欲しい。

扉ではなくその先を見て。

扉越しだって構わないから、イメトレでOK

 

そして目を閉じて、深く息を吸って、ゆっくりはいて、立ち上がることができたなら。

 

扉を開けて、先を行くんだ。

行き先は「なりたい自分の姿」、その背中。

大丈夫、怖くはないよ。

君が永らく耐え忍んだ場所に比べれば、まぁ五月蝿いし汚いけど、それだけさ。

人間は「知らないこと」に恐怖を覚える生き物、扉の先が分からないから怖いだけ。

分かってしまえばなんてことはない。

 

扉から出たら先ずはゆっくり話そうよ、君の将来・未来についてさ。

 

あとは扉の前と同じ事の繰り返し。

歩きながら、仲間と泣き笑い励ましあいながら。

 

いつか昔の自分に会えたとき

「俺はこんな風になれたんだぞ!」

そういって胸を張れるように。

 

大丈夫、今の君も未来の君の力になってる。

 

p.s

将来の僕へ

悪い(法に触れる)人にはならないでね

約束だよ!